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《藤田 博史》 #0038 大学院を修了し、教員をしながら制作している藤田 博史さんに一問一答しました。

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 大学院を修了し、教員をしながら制作している藤田 博史さんに一問一答しました。

Q. お名前を教えてください。
A. 藤田博史

Q. 生年月日を教えてください。
A. 1957年3月13日

Q. 出身地はどこですか?
A. 埼玉県

Q. 出身学校と学部を教えてください。
A. 武蔵野美術大学大学院彫刻コース

Q. どのような高校生でしたか?高校生の時何をしていましたか?
A. 根拠の無い自信に溢れ、無責任に自由を謳歌していた気がする。それは受験と将来への不安から精神を安定させる逃避行動だったと思う。入学後すぐに美術部に入り芸大受験を考え油絵やデッサン、塑像制作が中心の高校生活で、帰宅するとJAZZをよく聴いてた。

Q. 浪人生活はどうでしたか?
A. 浪人中は彫刻科を目指して木炭デッサン漬だったが、しょっちゅうJAZZ喫茶に行ったり楽しんでいたと自分自身は思っていた。しかし受験直前の自我像を見返すと結構精神的に追い詰められて病んでいた様子が見てとれ赤面する。体調面でも私大受験後に実際に病気になり芸大受験が出来ず完治も2年かかった。もしこれを読む受験生がいたら体調管理怠り無く。

Q. 東京芸術大学を目指すきっかけやできごと、理由等を教えてください。
A. 小さい頃から絵が得意で漠然と考えていた。高3の時、高齢の美校出の彫刻家から将来の職業のことを聞かれ、教員になりたいと答えると即座に「なら芸大ではなく教育学部に行きなさい」と言われショックを受けたことがあった。矛盾するようだが、それが芸大受験を決定付けた1つの理由になっている。

Q. 在学中にやっていたこと、考えていたこと、学んだことを教えてください。
A. 学部、院時代とも具象の塑像に取り組んだ。学部2年までは漠然と制作し、まったく評価されなかった。漠然と言っても構成・構築の重要性は理屈では分かっていたし制作する上での拠り所にもしていた。しかし3年次の課題1作目でそれが理屈で無く雷に打たれたかの如く突然理解できた気がして、それがテーマとなり院に進んだ。

Q. 学部を卒業してからの進路や、今してることを教えてください。
A. 院修了後はやはり教員になった。

Q. 仕事をしながら(教員をしながら)自らの制作をすることは無理なくできることですか?
A. 人は弱いから制作と心の持ちようが密接に関係するなら、無理をしないとできないと思うが、制作出来ないのを仕事のせい、仕事が出来ないのを制作のせいにしない、つまり自分自身のせいにすることで両立させてきたと思う。

Q. その職業(仕事)を選んだきっかけを教えてください。
A. 高校時代の美術部の顧問で彫刻家でもあった恩師の生き方がきっかけで選んだ。先生は美術を教える大切さと面白さを体現されていた。

Q. 「高校時代の恩師の生き方」とはどのような生き方ですか?
A. 教師としてもアーティストとしても又家庭人としても手を抜かず、物ごとに対し嫌な顔をするのを見たことがない。無責人で我がままであったろう高校生の若者を見守る我慢強さを持ち、そしてなによりユーモアに溢れている。

Q. 今後したいことを教えてください。
A. 日本百観音霊場すべてをお参りして御本尊様をレリーフで制作する。現在進行中だが終わりが見えない。

Q. 在学中にやっておけばよかったと思うことはありますか?
A. 借金をしてでも海外を見ておくことと、興味のあることには臆せず首を突っ込むこと。

Q. 過去または現在で影響を受けたものはありますか?
A. 大学時代の講師だった恩師の言動。それは生き方に繫がるもので今も影響をうけている。

Q. 教員をする上で大切なことを教えてください。
A. 生徒との距離感。言動に責任を持ち言い訳しない。

Q. 気分転換は、どうしていますか?
A. ドライブ、寺社仏閣巡りと御朱印を授かる。孫との時間。

Q. 衣食住、生活で気をつけている事や、好きな事を教えてください。
A. 若くないので暴飲暴食。でもお酒が好き。

Q. 今行っていることのSNSやURL等ありましたら教えてください。
A. FBやInstagramに登録してるが、もっぱら他人の投稿にいいねをポチッとするだけ。

ありがとうございました!

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